九日連
九日連発足以前の話 
九日連の前身「九州日本語教育連絡協議会」と「九州日本語教育研究会」

1984年(昭和59年)
5月19日、福岡YWCA第2回日本語教師養成セミナーの開講講演が宮地裕先生をお呼びして開催され、その折、九州沖縄6県から日本語教育担当者が集まって、宮地先生を囲んで懇談会が開かれ、先生の助言により、「九州地区日本語教育連絡協議会」が発足した。
7月16日には第1回連絡協議会福岡YWCAで開催、寺村秀夫先生をお迎えして、鹿児島、熊本、長崎、福岡から25名が参加して、「九州各地の状況の報告と連絡協議会の運営方法」について話し合いが持たれたが、活動報告のみで、運営方法等は次回に持ち越された。また、各県の連絡係は沖縄(赤嶺)、鹿児島(鮎澤)、熊本(西川)、長崎(印道)、大分(和田)、福岡(上尾)に決まった。
ご存知の方もおられると思うので、当時の発起人を掲載させていただき、協議会を創っていただいた先人のご苦労を偲び、功績をたたえたいと思う。
発起人:赤嶺美恵子(琉球大)、鮎澤孝子(鹿児島大)、池原明子(福岡YM)、印道緑(長崎総合科学大)、江藤ゆき(熊本YW)、小城義也(鹿児島女子大)、春日美登里(福岡YM)、上尾龍介(九州大)、川瀬義清(西南学院大)、白石京子(九州大)、森厳(琉球大)、森山日出夫(九州大)、山本明石(凡人社)、和田正則(大分文理大付属日本語専門学院)、岩橋百合(福岡YW)、湯口恵(福岡YW)

1985年(昭和60年)
昭和59年5月に発足した「九州地区日本語教育連絡協議会」は、昭和60年2月23日、西南学院大学にて、同協議会の運営委員会が開かれ、各地区の連絡係の西川、印道、和田、鮎澤、および湯口、日本文理大の竹田津、甲斐、西南学院大の古川、川瀬、太田が出席した。会の名称を「九州日本語教育研究会」と改めることとし、組織、運営に関しては下記のような会則が決められ、午後の「九州地区日本語教育シンポジウム」で報告された。

1名称 本会は「九州日本語教育研究会」と称する。
2目的 本会の目的は九州地区における日本語教育の充実をはかり、そのための研究ならびに情報交換を行うこととする。
3組織 九州地区において日本語教育および日本語研究に携わる個人および団体を会員とする。
4運営
@例会 年に一回開催する。
A連絡委員 各地区に連絡員を一名以上おき、その地区および他の地区、連絡事務局との連絡を保つ。
B連絡委員会 連絡委員は必要に応じて連絡委員会を開き、運営などについて検討する。
C連絡事務局 各地区および外部との連絡のための事務局を福岡YWCAにおく。
D経費 例会の参加費をもって、会の運営、連絡等の経費にあてる。
E会報 本会の活動の一環として会報を発行する。



2月23日 13時半〜17:00: 九州地区日本語シンポジウム
実践報告:
  熊本大学教養部(大学生の日本語教育) 小脇光男
  長崎総合科学大学留学生別科(大学受験生の日本語教育) 宮原 彬
  西南学院大学留学生別科(交換留学生の日本語教育) 古川暢朗
  鹿児島女子大学(技術研修生の日本語教育) 小城義也
  福岡YWCA(一般成人の日本語教育) 堤 泰子
  講 演: 日本語教授法にかかわる諸問題 小出詞子

6月29日: 九州日本語教育研究会 第1回研究例会
昨年5月19日福岡YWCAで開かれた九州地区日本語教育担当者懇談会をきっかけに九州地
区日本語教育連絡協議会が発足し、その後、本年2月29日の運営委員会にて、九州日本語教育研究会と改められた経緯が説明され、さらにこの第1回の研究例会が日本語教育学会の年次研究例会に組み込まれることになった旨の報告がなされた。
 会 場: 西南学院大学本館大会議室
 テーマ: 会話教育
 発 表: 会話教育と日本語教科書及びテープ教材  鮎澤孝子(鹿児島大学)
 印道 緑(長崎総合科学大学)
    外来語を利用した日本語会話:instant Japanese 古川暢朗(西南学院大学)
   コミュニケーション・ストラテジー    伴 紀子(南山大学)
『九州日本語教育地区だより』第1号が発行され、当日配布された。

昭和60年「九州日本語教育地区だより」によると、各地区の連絡先(地区委員)は次のような方々であった。
福岡: YWCA  湯口 恵      佐賀:佐賀大学  小池政雄
長崎: 長崎総合科学大学 印道緑      熊本:熊本大学 西川盛雄(小脇光男へ) 
鹿児島:鹿児島大学鮎澤孝子(田尻英三へ)   沖縄:琉球大学 川平博一
大分:日本文理大学日本語専門学校  和田正則      
なお、事務局は西南学院大学 古川暢朗、発行は 同大学 川瀬義清が担当
事務局の仕事  
1. 日本語教育学会との連絡窓口
2. 各地区からの情報収集と交換の窓口
3. 会報発行 6月12月年二回
4. 名簿作成
連絡委員の仕事
1. その地区の会員への連絡
2. その地区と事務局との情報交換
3. 会報への報告記事送付
4. 地区か委員の名簿作成
活動
1.年一回研究例会  日本語教育学会の研究例会として
2.年二回会報発行  各地区の日本語教育研究の状況報告、情報交換
3.各地区の研究会との連絡・交流をはかる
各地区研究会
@福岡日本語教育研究会  1985.4発足 会員約40名  年数回(研究発表)
A熊本日本語教育研究会  1984.5発足 13〜14名    毎月第3火曜
B鹿児島日本語教育研究会 1984.6発足、 25名 月1回土曜(研究発表、読書会、報告)

以上の決議事項の大綱は九日連の会則にも盛り込まれ、引き継がれている。

1986年(昭和61年)
7月26日: 九州日本語教育研究会として、日本語教育学会 第3回研究例会が開催された。
 会 場: 西南学院大学 大会議室  
テーマ: 「地域語」と日本語教育とのかかわり 
 発 表: 鹿児島方言と日本語教育  田尻英三(鹿児島大学)
日本語教育と沖縄言語事情 川平博一(琉球大学)
「地域語」と日本語教育とのかかわり 土岐 哲(名古屋大学)

1987年(昭和62年)
6月27日: 日本語教育学会 第4回研究例会
テーマ: 教授法の様々 --学習者別の留意点を中心に
分科会1 学生の部  
学部留学生 福島邦夫(長崎大学)、
大学院留学生 田村宏(九州大学留学生教育センター)
大学進学予備教育課程 小川千鶴子(有益語学学院長崎)
分科会2 一般の部:
技術研修生 稲葉怜子(北九州JICA)、
中国帰国者 進 一 (福岡YWCA)、
一般成人 小林洋子(福岡YWCA)
講 演: 教授法・教室活動・教材 田中望(国立国語研究所)

一般の発表者は福岡YWCAの教師養成講座の一期生が昭和61年に育ったばかりで、経験者が少なく、あとは大学の先生方に頼らざるを得なかった。一般の方の発表者を探すのに大変苦労をした。
学会の研究例会は昭和63年のみ、長崎にて開催のため、九州日本語教育研究会の事務局も長崎総合科学大学に移された。昭和64年以降は再び福岡にて開催されることになる。

1988年(昭和63年)
この頃は、今の運営委員、当時の地区連絡委員がその地区の研究会参加者を集約して、事務局に報告することになっていた。地区委員の方も大変だったと思う。

6月25日 日本語教育学会 研究例会
テーマ: 学習者の実状にあった教授法と教材
発 表: 交換留学生・聴講生の場合の留意点  金森強(長崎ウエスレヤン短期大学)
別科生用初級教科書作成の試み   宮原 彬・印道 緑(長崎総合科学大学)
(この教科書は九州で初めて作られた教科書である)
講 演: 教材と教室活動   河原崎幹生(東海大学留学生センター)


「九州日本語教育研究会」から「九日連」発足へ向けての準備

昭和63年11月26日 九州日本語教育研究会連絡委員会議において、九州日本語教育研究会の運営について話し合われた。
 委員体制の変更: 連絡委員を改め、事務局委員と運営委員の二本立てとし、新しい組織体制をとった。 事務局:福岡YWCA
 事務局委員:古川(西南学院大)、田村(九州大)、岡野信子(梅光女学院大)、
田尻(福岡大)、進(福岡YW)
運営委員(地区連絡委員): 杉本(佐賀大)、清田(大分文理大)、小脇(熊本大)、
福島(長崎大)、大島(鹿児島大)、川平(琉球大)

以後、福岡中心の委員にて事務局を運営することとし、特別の協議事項がないかぎり、各県の委員の招集はしないこととし、全体会議は年1回の学会の時に招集され、そこで報告と協議がなされ、運用されることが了承された。

田尻委員から次の案が提案され、早急に趣意書・会則その他を作ることになった
@ 会則を作る(田尻作成)
A 入会は会費をとる・・・3月末までに申込書と会費を納入
・会費について
 通信・運営費とし、年額1,000円とする。振り込み口座を開設。
・会の名称:「九州日本語教育連絡協議会」とし、4月1日に発足する。
研究会として、その都度、不特定の参加者から参加費を集めていたが、会員の実数が把握できず、かつ研究発表者が年々少なくなり、研究会としての今後の継続が危ぶまれるので、今後、情報連絡の会として、ゆるやかな再出発をし、負担のかからないものにしたいということで、この名称になった。(これは昭和59年の発足当時の名前にかえったことになる)
・会報を年2回発行配布する。
会報の内容は、中央や九州の日本語教育の現状。各大学などの研究例会の周知および報告。その他の連絡事項。
・会員名簿の発行。

九日連の発足

1989年(昭和64年、平成元年)
昭和64年1月7日、昭和天皇(87歳)が崩御され、激動の昭和に終止符がうたれた。大正15年(昭和元年)生まれの私は文字通り昭和と共に生きてきた。これで私の時代が終わったと思った。翌8日、改元され、新しい元号は「平成」と決まった。現在の九日連は奇しくも平成元年に生まれ変わったことになる。               
平成元年1月27日:会則作成を任されていた事務局に田尻委員から九日連の発足にあたっての趣意書と会則案が示された。

九州日本語教育連絡協議会について
 日本語教育の世界は、今大きく変わろうとしています。そして、今ほどいろいろな情報を
少しでも早く必要としている時代はありません。このことを痛感して、福岡YWCAや九州・
沖縄在住の国・私立大学の日本語教育関係者が集まり、中央からの情報や各地域の情報
連絡の便宜をはかる会を作りました。        
この会は、日本語教育学会とは別組織ですので、学会員でなくても入会できます。


九州日本語教育連絡協議会会則

第一条 本会は、九州・沖縄地区の日本語教育に関する情報連絡のための会である。
第二条 本会は、事務局と若干名の運営委員によって運営される。
第三条 事務局は福岡YWCAに置く。
第四条 本会は、第一条の目的を達するために、会員名簿と年二回の会報を発行する。
会報は、年一回九州で開かれる日本語教育学会研究例会や、九州・沖縄各地の
研究会の状況報告などをその内容とする。
 第五条 会員は本会の趣旨に賛同する者とし、通信・運営費として年額1000円の
会費を納入しなければならない。会費納入は郵便振替で行う。

 事務局員  岡野信子(梅光女学院大)、進 一(福岡YWCA)、田尻英三(福岡大)、
       田村 宏(九州大)、  古川暢朗(西南学院大)
 運営委員  大島真紀(鹿児島大)、川平博一(琉球大)、清田芳弘(大分文理大別科)
       小脇光男(熊本大)、 杉本妙子(佐賀大)、福島邦夫(長崎大)

以上が九日連発足当時の会則である。

この時点で、現在の九日連の礎が定まり、静かに動き出した。それ以来、会則はほとんど変わることもないし(注)、今日まで九日連は連綿と続いている。全国的に見ても驚異の集団である。
改めて、このときの委員の皆さんのご努力に心から感謝申し上げる。
(注)2004年(平成16年に事務局改編があり、会則も大幅に見直した。

日本語教育関係者の入会の勧誘を依頼する一方、事務局も研究会などの参加名簿を頼りに入会の勧誘を行い、会員の獲得に努めた。

年一回の研究例会は実質、日本語教育学会の主催であり、学会以外に本研究会(63年までは九州日本語教育研究会であった)としての独自の研究会などを開催できるかどうかの組織、運営の見直しがなされたが、・・・結局、運営委員自体の忙しさもあり、無理をして独自の研究会を開くより、この会を続けることの方が大切であるということで、本会の名称も九州日本語連絡協議会と、初期の名称に戻し、会員数を把握するため、年会費を取っての登録制とすることにした。なお、学会の研究例会は従来通り支援することとした。

平成元年5月27日 会報1号発行。 
会員数 63名(福岡37,佐賀3,熊本6,長崎8,鹿児島5,宮崎1、大分1)
内容概略:日本語教育学会第2回研究例会のお知らせ
九州沖縄各県の活動報告(福岡YWCA養成講座、福岡大学、九州大学、西南学院大学、香蘭女子短期大学、長崎大学、鹿児島大学、梅光女学院大学、熊本日本語教育研究会、日本語研究会ASA、鹿児島日本語研究会)


軌道に乗ってきた運営

九日連は会則をつくり、会員制にして、新しく生まれ変わろうとしている。平成元年10月の事務局委員会において、事務局・運営合同委員会の今後の在り方について、次のような取り決めがおこなわれ、各委員に連絡された。
「各委員の忙しさを考え、九州各地からの集まりは取りやめ、福岡県在住の事務局員だけの集まりを持ち、一応の案を作成して、後日、各委員に検討していただくことにしたい。」
合同委員会は緊急の議案がないかぎり、学会当日、年一回の定期開催として召集されることになりました。このことにより事務局委員会が九日連の運営について、大きな責任を負うことになり、委員の真剣な取り組みが義務づけられた。このことは現在も変わっていない。

1990年(平成2年)〜91年(平成3年)
平成2年1月15日 会報第2号発行。 B4 1枚裏表印刷。会員数95名。
平成2年6月10日 会報第3号発行。 B4 1枚裏表印刷。会員数102名。
2号までゆっくりしていた行間が、だんだんつまって読みにくくなりました。
平成3年1月31日 会報第4号。 B4 1枚裏表印刷。
平成3年6月10日 会報第5号 B4 1枚裏表印刷。

1994年(平成6年)
今まで講師の交通費、宿泊費は学会が出していたのを、当日徴収の資料代より支出することとなった。参加者数によっては遠くから呼べないことになる。頭痛し。その後、いろいろあったが、翌年から学会が支出することになった。


 『九州日本語連絡協議会会報』に「九日連の歴史」として進一先生が連載されていたものから抜粋いたしました。



進先生の独り言   九日連会報 24号〜28号 より抜粋

昭和60年11月30日、福岡YWCA日本語養成講座で開催予定の日本語教育公開研修会「日本語の意味と文法教育」の寺村秀夫先生(筑波大学)の講義が東京乗り換え直前で先生急病のため、中止になった。以後、先生は大阪大学に転勤されても、この病魔と闘うことになり、私たちの前で・・・身体をやや左に向けて、窓の外に広がる空へ目をやりながら、ひょうひょうとして、講義される先生の姿を見ることはなかった。直接習っていた私たちにとって、忘れることのできない出来事でした。   (会報24号、2001.3.24より)
昭和63年1月31日に第1回日本語教育能力検定試験が実施され、博多駅からまるで修学旅行のように、大勢の受験者が上京していきました。これからなんとなく、騒がしい日本語教育の世界が始まったように思います。 (会報25号、2001.8.24より)
               
昭和64年1月7日、昭和天皇(87歳)が崩御され、激動の昭和に終止符がうたれた。大正15年(昭和元年)生まれの私は文字通り昭和と共に生きてきた。これで私の時代が終わったと思った。翌8日、改元され、新しい元号は「平成」と決まった。現在の九日連は奇しくも平成元年に生まれ変わったことになる。  (会報26号、2002.3.29より)

年号が昭和から平成に変わりましたが、なんとなく落ち着きません。昭和に育ったわたしには、どうも馴染まないようです。どんな日本になるのだろうか。  (会報27号、2002.8.26より)

私事で恐縮ですが、平成4年1月解離性大動脈瘤で倒れました。入院中は委員の皆さんが助けてくださり、無事乗り切りました。あれから10年、よくぞ生きていたと思っている今日この頃であります。(会報28号、2003.4.1より)

平成15年、今年の夏は雨ばかり地球がだんだんおかしくなりつつあります。米も不作とか。
長崎の4歳児殺害事件、福岡の一家4人殺人・・・日本語学校就学生容疑・・・毎日のように新聞に載っています。もっといいことで九州が載らんとかいな。かなしーい。
8月28日より中国、アメリカ、ロシア、北朝鮮、韓国、日本の6カ国協議が北京で始まった。拉致問題が早く片付くよう祈るや切です。

このごろ、腰痛が激しく、座ったり、立ったりするのに一苦労しています。
あんたは立っても座っても同じでしょう?って。ウルサイ!! 今、テレビで、韓国大邱のユニバーシアード大会の美女軍団が踊っています。他に何かないのかなあー。毎日同じものを見ているのも疲れますねぇー。ああそうだ、同じようなことを書くのも結構疲れますよ。(会報29号、2004.10.1より)
九日連とは